
広岛から世界へ!
氏名:鈴木 厚
専攻:生物科学専攻
职阶:准教授
専门分野:発生生物学
略歴:1990年 筑波大学 農林学類 卒業 1995年 北海道大学 博士課程 薬学研究科 修了 1996年 米国ロックフェラー大学 博士研究員 1999年 広島大学 助教授
私がアメリカ留学から帰国し、広岛大学に研究室を开设してから早くも7年が経ちました。今まで様々な困难に遭遇しましたが、一绪に研究をしてくれた学生达、周りの先生方、そして研究室立ち上げ期から研究员として参加してくれた妻の协力のおかげで、広岛で独自に始めた研究が実を结び始めています。
私の研究室では、カエルの卵を材料として、たった1个の受精卵から复雑な动物の体が作られる仕组みを研究しています。この分野は発生生物学と呼ばれており、分子生物学の発展と相まって、近年急速な进歩を遂げました。いまでは、细胞の分化や移动を调节して、体の形作りを制御する物质(遗伝子など)がたくさん同定されています。これらの知见を利用して、病気の治疗や臓器移植への応用を目指す研究も始まっており、発生生物学は基础生物学の枠を超えた広がりを见せています。


私が研究を始めた17年前は、遗伝子レベルの解析が発生研究に导入され始めた黎明期にあたります。研究室配属を控えた学部3年の时に、恩师である上野直人先生(现基础生物学研究所?教授)の讲义を聴いたのがきっかけで、発生生物学の世界に飞び込みました。上野先生は米国留学から帰国したばかりで、竞争相手と切磋琢磨しながら新発见に至る过程を讲义で绍介してくれました。脳や骨などの成体组织から精製された分泌タンパク质が、意外にも、受精后まもない初期胚の细胞分化も调节するという事実がとても新鲜であったことに加えて、新発见の里にある研究者の人间ドラマや竞争相手とのスリリングな駆け引きに魅了され、「自分もこの世界に入って、鸟肌の立つような経験をしてみたい!」と思ったのです。
当时、上野先生は筑波大学教授?村上和雄先生の研究室で讲师をされており、主人(上野先生)、番头(大学院生の西松伸一郎さん)、使い走り(私)という构成の村上研?上野グループで研究を始めました。卒业研究は、カエル胚から単离した遗伝子の塩基配列を决めるという内容で、知识も技术もない学部生の私は、文字通り先辈の手となり足となり、技术?経験を体得しました。研究グループの立ち上げ期で大変でしたが、新しい领域に足を踏み入れる紧张感があり、日々充実していました。
最初の1年间は、ひたすら遗伝子の塩基配列を决定していきました。今では、技术革新が进んで简単な操作をして机械にかければ済んでしまう作业ですが、当时は、毎日深夜まで実験してようやく结果が得られます。行程が多いので失败し、早朝から午前3时まで実験することが度々ありました。修士课程に入ると、それなりの成果が得られましたが、海外の研究グループに先を越されてしまい、少しずつ「研究をやめて就职しようか。」と迷いが出てきました。一方で、「情けなくて、このままでは终われない。」という気持ちがあり、何とか一発逆転して世界の研究者をあっと言わせる研究ができないかと、必死に模索していました。そんな时、文献セミナーで绍介された论文が刺激となって実験のアイディアが浮かび、セミナーそっちのけで研究计画を考え、上野先生に相谈しました。计画の遂行には数年が必要で、かつ未知の遗伝子を単离する挑戦的な计画のため受け入れてもらうのは容易ではありませんでしたが、1ヶ月以内に最初の结果を出すという条件付きで许可が得られました。しかし、既存の方法では最低2ヶ月は必要だったため、これまでの知识?経験を结集して様々な工夫を取り入れた结果、期限ぎりぎりで成果が出ました。この时ばかりは涙がでるほど嬉しかったのを覚えています。
その后の研究で、単离した遗伝子の体の形作りにおける重要性を証明することができました。予想を上回る结果に兴奋し、奇形になったカエル胚を顕微镜で観察しながら鸟肌が立ちました。やがて私たちの研究が海外でも注目を集めるようになり、発表した论文は多くの研究者に引用され、発生学の教科书にも载るようになりました。先生や先辈方の协力なしに研究が展开することはあり得ませんでしたが、学生の方々に强调しておきたいことは、「研究を始めて间もない学生でも、じっくりと时间をかけて考え、全力で取り组めば、世界に通用する研究ができる」ということです。テレビのインタビューで、ある分野で成功した人が成功の秘诀を闻かれ、「成功するまでやめないから」と答えていました。私は、もがき苦しんだ修士课程の顷を思い出し、あのとき諦めずに研究を続けて良かったと思っています。可能性を秘めた若い学生の方は、一度目标を设定したら、何があっても成功するまでやめない覚悟で取り组んでほしいと思います。うまくいかない时に周りや上司のせいにしたり、自分には向いていなかったと言って目标をそのたび毎に変えると、成功を手にすることは出来ないと思います。

国立大学法人化を経てソフト?ハードともに决して満足な状态ではありませんが、大学院生时代の体験を思い出し、个性的な研究を展开すれば、必ず広岛大学から世界にインパクトを与える研究を発信できると考えています。日?祝日も研究室に足を运ぶことが多いのですが、そんな时、青空にそびえる大学の建物を见上げ、「ここから世界へ!」と心の中でつぶやいているのは私だけでしょうか?
