
自分で考えればおもしろくなる
氏名:古本 強
専攻:生物科学専攻
职阶:准教授
専门分野:植物生理学、生化学
略歴:1971年生まれ。京都大学农学部卒业、京都大学大学院农学研究科博士课程修了。东京大学大学院理学系研究科助手、京都大学大学院生命科学研究科助手を経て现在に至る。専门は植物生理学。これまで颁4光合成について分子生物学的?生化学的研究を行ってきた。広岛大学に赴任してからは、植物の光环境応答について研究を展开させようと考えている。趣味は钓りと养蜂。
あれは私が博士课程后期一年の夏の终わりの顷のことでした。琵琶湖湖岸近くの野原で、あるいは下宿近くのお寺、法然院の境内で、研究室にゆかずぼーっと时を过ごしたことがあります。研究の行き詰まりと指导教官との意见の相违に、研究意欲を失い、研究目的を见失っていたころのことです。えてしてそういうときには私生活の面でもうまくいかないもので、それまで长く付き合った人ともほぼ同时期にうまくいかなくなりました。そんな私とは対照に、私生活が充実し研究がうまく进んでいる同僚に対してはねたみを感じ、そういう自分にさらに自己嫌悪を感じる毎日でした。自分にとって、研究という作业が向いているのかいないのか、好きなのか嫌いなのか、果たしてこのままの研究テーマでやっていけるのか???。法然院の里山の树木の枝叶の间から见える空を见ながら、とめどなく考えていました。法然院が京都のお寺には珍しく、拝観料を取らないことは、贫乏学生には幸いしました。そのときの気分を想いおこすと、緑まぶしい叶と红叶している叶の両方のイメージが涌いてくるので、季节の移ろいを感じられるほど长期间にわたってお寺に通い続けたことになると思います。しかし时间をかけても、その悩みはなかなか解消されませんでした。実験をちょぼちょぼしても、やはりそのときの研究テーマに対する行き詰まり感は消えず、むしろそれは强まる一方で、自分の首を自分でしめるようなそんな结果しか导き出せないでいました。「研究をやめてしまおう」という思いにやっと考えを集约できたのは、冬に锅を食べているときでした。
いざ研究をやめる事にしようと思ったとたん、悔いの残る研究生活だったということに気がつきました。それまで自分で主体的に研究について考え、なにかアイデアを思いついてそれを展开させるというようなスタイルでは研究活动を行ってきていませんでした。「どうせ研究生活をやめるのであれば、その前に一度自分の思うとおりに実験してみよう。それでだめなら、それまでよ」そんな开き直った、なかばやけっぱちな気持ちで、何かを自分で考えて研究することにしました。
何をすればいいのか、何がしたいのか、研究テーマの设定とは难しいものです。しかたなく、一から勉强することにしました。その当时、私は颁4光合成に関係する二酸化炭素固定酵素の活性制御の研究という研究テーマを、与えられて行っていました。テーマ近傍の一通りの知识は持っていました。しかし、教科书を読み返すとこれが意外に面白い。博士课程后期ともなれば、一応なんとなくいろんなことを知っているつもりでしたが、意外と理解していないことが多いと気づきました。また教科书に饱きて、その分野の研究の第一人者の论文をその人が学生であったころまでさかのぼって、调べてみたりもしました。なかには若くして狈补迟耻谤别などに复数回投稿しているちょっと真似のできそうにないひともいましたが、中には地味な论文をゆっくり出していて今の自分でも真似できそうな人もいました。そこで后者について、いつ研究のブレークスルーとなる论文を出したか、それはどのような理由によるか、という点に着目して论文を読み直してみました。私のそのときの解釈では、新しい技术を导入することに成功して、それが彼を、あるいはその近傍の研究をおおいに成功に导いているように思えました。その技术とは、トウモロコシの叶の细胞を、细胞壁消化酵素で消化して、二种类の细胞、叶肉细胞と维管束鞘细胞に分离する技术です。その技术と当时の生化学的手法を中心とする研究が结びついて、颁4光合成の代谢回路の全貌が明らかにされていったのです。こうした论文をさかのぼる作业によって、ある种の兴奋状态にある私は、ふと「もしも今の自分がその时代に存在していたら???」と梦想を始めたのです。そのころの私はすでに遗伝子を扱ういわゆる分子生物学的技术を会得していました。「その技术を先の二つの细胞を分离する技术と组み合わせるだろうな???」「分子生物学的手法で切り込めば、その当时见つからなかったようなものを探し出せるかも???」。そこで、実験してみることにしました。
実験の详しい手法や过程は述べません。结果としていくつかの新しい発见をすることができました。时间をかけて考えて、そして时间をかけて実験したわりには、ささやかな発见ではありましたが、その内容を国际学会で披露することができました。もちろんその国际学会では、この自分の研究のもとになった、何度も何度も読んだ论文の着者も参加していました。その人を会场でいち早く発见し、つたない英语ながら発表を闻いてもらえるように依頼し、発表后に直接コメントをもらいました。その出会いがどんなにうれしかったか、そしてその语らいの时间がどんなに楽しかったか、うまく表现することができません。その夜、学会の恳亲会会场でビールをたらふく饮んだ私は、ひどく酔っ払いながら「研究はやめられへんなー」と思ったのです。