
研究者は天職? 私の研究者への紆余曲折
氏名:古野 伸明
専攻:生物科学専攻
职阶:准教授
専门分野:発生生物学、分子生物学、细胞生物学
略歴:1959年福冈県筑豊の生まれ、育ち。九州男児で川筋っ子です。九州大学理学部生物学科卒业、九州大学大学院理学研究科中退。九州大学大学院医学系研究科中退。理学博士。久留米大学医学部附属分子生命科学研究所助手、九州大学大学院理学研究科生物学科助手を経て现在にいたる。九州大学在职中(1997?1999)に、英国のケンブリッジ大学に留学。剣道2段。中学、高校と本当に真面目にやりました。趣味は天体写真を撮る事。ハレ?彗星の写真もとりました。それと、自动车の运転。今、単身赴任で、家族が福冈県の筑豊に居ます。その行き帰りに自动车を利用してます。雨の日などはきついですが普段は良い気分転换になります。
幼稚园?小学校时代
多分、あれは私の父亲の勤めていた中学校の理科の教科者だったんじゃないかなと思います。その本の、人の体の内部构造を説明した図に偶然眼が留まり、急に人の体の构造(特に内臓)とその働きに兴味を持ち始めました。その顷は字が読めない訳ですから、父亲を初めとした大人などに闻きまくりました。父亲もそれによく答えてくれて、勤めていた中学校の理科教室にある人体模型を使って、名前や働きなどを教えてくれました。それが理科に対する最初の兴味だった気がします。
小学校になって字が読めるようになると、それぞれの学年向けに作られた「科学」という月刊誌を买ってくれました。これは、理科の総合雑誌と言うべきもので、生物から物理までのいろんな面白い记事があり、梦中で読んでいました。また、父亲はヒトの体についての本を初めとして多くの本を买ってくれました。中でも印象的だったのは、「顕微镜下の世界」という本で、顕微镜で见れる不思议な世界を记述してあり、顕微镜がとても欲しくなりました。欲しいと言うと、4年か5年の顷买ってくれて、いろんな物を観察しました(この観察记録を中心とした作文は、中学校1年生の时の夏休みの宿题の作文に书いて福冈県で一等赏になりました)。小学校の図书馆の本など手当りしだい何でも読みましたが、その中でシャーロック=ホームズを初めとする推理小説にはまりました。自分が最初に买った本は、シャーロック=ホームズの本で、今でも推理小説は大好きです。理科全般に兴味はありましたが、最初に人体に兴味を示していろいろ闻いてきた事もあって、小学校の卒业文集では、将来は医者になりたいと书きました(探侦も考えましたが、小学生にも现代は小説のような探侦业が无理と思いましたので)。
中学校?高校
剣道を真面目にしていた事と受験もあり、大変な6年间でした。ただ、中学校に入ってすぐに、より上等な顕微镜を买ってもらって、标本作製や顕微镜撮影に挑戦しようと理科の先生に闻いたりしたのですが、周りに教えてくれる人がなく断念しました。适切な时期に适切な指导者などが周りにいると言う事の大切さが今にして分かります。父亲が买ってくれた本の中にタイムライフの生物のシリーズものがあって、その中の「遗伝」というタイトルの分册に书かれていた顿狈础を中心とした遗伝现象の仕组みにものすごく兴味を引かれました。生物というと観察が中心で、想像が多いと言う印象があったのが、遗伝に関しては、数学的にすっきり话ができるのですごく引かれました。それと、宇宙に憧れました。天文関係の本を良く読みましたが、理论についていけなくてこの方面の仕事は无理と諦めました。ただ、当时の年令など考えると分からなくて当然で、この判断は早すぎたのかと后で思いました。进路希望は当初医学でしたが、病気を治す事より、その原因や発病の论理に兴味を引かれた事や、遗伝の本を読んで生物学も面白い、と言う事で、理学部の生物学科も视野に入れるようになりました。
大学?大学院
受験の厳しさや自分の兴味の対象などを考えて、大学は、理学部の生物学科へ进学しました。合格発表の时は、嬉しいと言う感情もありましたが、自分の进む分野が生物学に绞られたと言う寂しさ(天体物理などへの兴味もありましたから)を意外にも强く感じた事を覚えています。大学では、やはり分子遗伝学に非常に兴味を持ち、进むならこの道へと决めました。私は推理小説が大好きと书きましたが、分子遗伝学は推理小説に似ていると感じたからです。帰纳的に、结果からその过程(原因)を推理して行く訳ですから。私が大学生の顷は、分子遗伝学は生物学の一分野に留まらず、生物を理解する為の道具として利用され始めていました。そうすると、どう言う生物现象を解析するか、と言う事が次に问题になります。4年からその対象に选んだのは発生生物学でした。ただ、进学した讲座の教授、助教授とあわず、当时は研究を諦め、教える方に进もうと考えた事もありましたが、もう一度やろうと决めました。その时に、発生を选んだのは先走りし过ぎた事が良く分かり、その基本となる细胞増殖の仕组みを调べるべき、と考えるようになっていたので、その専门の先生の所に、受け入れを頼み、快く受け入れてもらったおかげで、研究者として生きていける事になりました。
雑感
あらためて生い立ちからの自分の兴味の対象などを考えると、研究者は天职であるかもしれないと思いつつ、それまでの过程は紆余曲折があると実感します。小学校时代は、理科全般に兴味を持って本を読んだりしましたが、専门知识を持った人は周りにおらず(田舎町だったので図书馆もなく、まして周りに大学などなかった)、父亲も国语の教师だったので、単にある程度の知识を人より早く覚えただけだったと感じます。それを実感したのは、6年生の时に理科で体の仕组みを习った时で、これで自力で获得してきた知识レベルまで皆が学校で习った事になりました(ただ、顕微镜観察だけは、実际にやってた事だったので、他人より胜ってたました)。こういう経纬を考えると、その时々に応じた适格な助言や兴味を伸ばす指导が大切だと痛感します(もしかしたら物理や化学系の研究者になっていたかもしれまいし)。
また、実际に研究する上では、自分の兴味も大事ですが、できる事と出来ない事(理想と现実)を区别する事や、はいる研究室の选択も重要だと感じた次第です。この雑文が皆さんの参考になれば幸いです。