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研究者への轨跡

文転、理転、そしてオタマジャクシの尾から肢

氏名:田澤一朗     

职名:助教

所属:両生类研究センター(理学部と统合生命科学研究科で教育活动)

専门:両生类の変态机构(特に四肢関係)

略歴:

1971 爱知県豊桥市生まれ

1972-1977 私立昭和保育园

1977-1983 豊桥市立东田小学校

1983-1986 豊桥市立青陵中学校

1986-1990 爱知県立时习馆高等学校 理系クラス

1990-1991 河合塾豊桥校 名大选抜文系コース

1991-1995 広岛大学理学部生物学科

1995-1997 広岛大学大学院理学研究科 博士课程前期

1997 広岛大学大学院理学研究科 博士课程后期(中退)

1997-2007 広岛大学理学部(后に大学院理学研究科) 教务员(博士号取得)

2007-2016 広岛大学大学院理学研究科 助教

2016- 広岛大学両生类研究センター 助教(现职)

 

 小中学校の写生大会で、画用纸が谁よりも长い间白いままでした。いざ下描きを始めても、なかなか具体的な形を结びません。周りの皆は最初に描いた线を足场にどんどん轮郭を拡张していきます。その中には明らかに良い作品になりそうな絵もある???。それに引き换え、自分の絵はそもそも完成するのかも怪しい???。こんな焦燥感を感じながらも、一方では、自分の纳得に执着し、好きな絵を他人よりも长い时间をかけて楽しんでいました。私はいろいろな局面で、このような人です。幸い、写生大会ではたいてい入赏し、いたずらに时间を费やしていた訳ではないことを証明することができました。

 

 さて、私はやはり小学生の顷から理科が好きで、特に生物学が好きでした。これには手塚治虫や畑正宪が好きな母亲の影响があったと思います。小さい顷は将来の梦の笔头に「カガクシャ」や「ハカセ」があり、自然科学指向でした。しかし一方で、小学生高学年顷から社会の矛盾に気付くようになり、これを解决したい気持ちが生まれます。これは社会科学を指向するものです。

 

 この葛藤が长引いたせいで、高校ではつぶしの効く理系クラスを选択。卒业后は浪人し、ようやく志を社会科学に定め、予备校では法学部を目指し文系コースに入りました。ところが、センター试験が终わって国公立大出愿の直前で私大法学部への出愿后、「このまま法学部に入ってしまうと、生物学の研究は恐らく一生できないだろう。」と思うと、自分が到底このことを受け入れることができない性质であることに気付きました。そこで今度は、急遽理系に再転向することにしました。当时、生物学で课程博士号が取れる大学(=旧帝大+少々)のうち、私の学力で入れるのは広岛大学だけでした。一度は捨てた受験科目としての微积分を、大急ぎで勉强し直し、広岛大学生物学科动物学専攻を受験しました。

 

 広岛大学に入学し、いろいろ授业を受けていくうちに、カエルの変态を研究している吉里胜利先生に兴味を持ちました。そして卒业研究では吉里先生の研究室にお世话になりました。このとき先生から提案してもらった研究テーマが「无尾类の四肢再生能力が変态过程で减少する原因は何か」でした。同じ両生类でもカエルはイモリとは异なり、幼生のときだけ肢再性能があります。私はこのテーマに飞びつきました。思えば高校生のとき生物学の教材から「カエルの前肢の再生能力を、太い座骨神経を导入することで改善させる」という昔の実験(図1)を知り、神経の不思议な力に感动したものです。また、センター试験の生物でゴキブリの肢再生実験に関する问题を误答したことが印象に残っていました。ですから、この肢再生に関する卒业研究テーマには运命を感じました。

 

 なお、前述のカエルの前肢再生実験は1950年代の Marcus Singer によるものです。ゴキブリの実験の方は、実はその弟子の Susan V. Bryant らによるものでした。機会があって彼女とは日本で直接話ができ、サインをもらいました。

 

 広島大学にある両生類研究施設の施設長に吉里先生が就任するのに伴い、私は博士課程後期を中退し、両生類研究施設の教務員として就職しました。一応、貴重なパーマネントのアカデミッック?ポジションです。何故候補者の中から私が選ばれたのか、また、同級生や先輩の学生がいる中で、何故私に声がかかったのか。この理由こそ「研究者への轨跡」としては重要なのでしょうが、私には分かりません。それまでの学生としての私の業績は、特別著しいものではないと思います。ただ、学生時代に吉里先生との会話で「将来君は何になりたいのか」と問われ、はっきりと「研究者」と答えたことがあります。このことと関係するかもしれません。

 

 吉里先生が両生类研究施设から退いた后も私はこの施设で研究を続け、周囲の方々から支えていただき、博士号を取得することができました。现在も両生类研究施设から改称した両生类研究センターで両生类の変态関连の研究を継続しています。现在はオタマジャクシの尾から后肢が诱导されるというおもしろい现象(図2および3)を研究しています。加えて、高校生との共同研究の中に非常におもしろいもの(図4)があって、これをこれから本格的な研究に発展させていきます。インフラを提供されて、好きな研究に恒常的に取り组むことが许されている毎日は幸せです(他の业务が多いとはいえ)。この幸运を私なりに最大に活かして、社会に还元していきます。

(2020冲7冲3)


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