
20亿年前の原子炉と20年前の私
氏名:日高 洋
専攻:地球惑星システム学専攻
职阶:教授
専门分野:
略歴:
「アフリカに天然の原子炉と言われているウラン鉱床がある。」へえー。トリビアの泉にでもでてきそうな题材ですが、私がこの话を初めて闻いたのは大学3年の放射化学の授业中でした。中央アフリカのガボン共和国という赤道直下の国の东部オクロ地区のウラン鉱床の内部では、今から20亿年ほど前に自然に核分裂连锁反応が始まり、まるで原子炉のように数万年から数十万年にわたってエネルギーを放出していたというのです。これを初めて耳にした时は、日本からは远いアフリカの地で、しかも大昔に起こった出来事ということで、授业の中のいくつかのトピックスの一つであったこの话を半信半疑に思いつつ、さしたる実感もないままほとんど详细は闻き流していました。その后、同位体化学を専门として研究することになり、再びこの天然原子炉と出会うことになるとは梦にも思っていませんでした。
大学院の修士课程に进学し、半年ほど経ったときのことでした。とある日本人の研究者が、この天然原子炉の地を访れ、鉱床试料を一部持ち帰ってきたということで研究室の指导教授の勧めにより、私がその试料を分析してみることになりました。オクロ鉱床试料の中には自然界に通常存在している元素とは异なるでき方をした元素が多量に含まれているので、それらを分析することによって原子炉反応のいろいろな特性がわかるはずなのです。また、原子炉の中で多量にできた放射性物质が长い时间をかけてどのように周囲に影响を及ぼしたかを调べることは、原子炉を使った后に残る放射性廃弃物の処分を考えるうえで非常に参考になるということで、少しは人の役に立ちそうな研究にも発展しそうです。実际に分析を始めてみると、通常は见られない「异常さ」ばかりが目立ち、それが无性に面白く感じられてきました。それからは、まるで20亿年前の原子炉を相手に一対一のゲームに兴じるかの如く分析に没头してしまいました。当时は体力にものを言わせ、3日に1日くらいの频度で彻夜実験をしていたと记忆しています。结局、この天然原子炉に関する一连の研究が私の学位论文となってしまいました。
ところで、ガボン共和国という国はかつてフランス统治下にあり、その后独立しましたが、この国の経済の一端を担うウラン、マンガンといった豊富な天然资源をもとにした鉱工业等は今もフランス资本によって支えられています。したがって、この天然原子炉に関する研究も、それまではフランスの研究机関?大学が主流を成していました。
そうこうしているうちに、天然原子炉に関するわが研究论文の初期のものの一つがフランス人研究者の目にふれ、「お前は分析の腕はよさそうだが、残念なことに使っている研究试料は良いとは言えない。せっかくなのでもっと由绪正しい研究试料を分析すべきである。」という共同研究の诱いの连络を受けました。1992年から10年间にわたって贰颁诸国による大がかりな天然原子炉の国际共同研究が発足するとのことで、その先駆けとしてパリで今后の取り决めを话し合う会议が开かれることになり、その会议への出席を要请されました。
当时、润沢な研究费を持ち合わせているわけでもない私にとって、フランスは远い国でした。しかし背に腹は変えられず、モスクワ経由の格安航空券を私费で购入し、フランスに単身乗り込んだのは1991年2月上旬でした。ヨーロッパの厳冬の寒さと外国人研究者との惯れない研究打ち合わせによる紧张から始めは身も心も冻える思いでしたが、会议终了后、私の申し入れは意外にも寛容に受け入れられ、それからすぐに数人のフランス人研究者と共同研究を开始することができるようになりました。この共同研究は十数年経った现在も変わらずに続いています。以来、远きにありて想うものであったはずのフランスを近い存在として感じています。
さて、これだけ爱着をもって研究し続けた天然原子炉なので、何とか一度でいいから现地を访れてみたいと思うようになり、その机会を模索していたところ、意外と早くその机会に恵まれました。上记の国际共同研究グループが1996年6月から约半年にわたって実施した现地调査プロジェクトに参加させてもらうことができ、その年の9月下旬に现地に一週间滞在する机会を得ました。成田からパリ、ガボン共和国の首都リーブルヴィルと、乗り换え地を経由するたびに搭乗する飞行机も徐々に小さくなっていき、计24时间以上かかってたどり着いたオクロは本当に远く感じられました。滞在中の不便さ?不自由さを覚悟していましたが、宿泊した鉱山会社の宿舎は広くて快适であり、さらに幸运にも、鉱山会社のゲストハウスのレストランで毎日フレンチスタイルの食事の恩恵に预かりながら现地调査に参加させてもらいました。现地で天然原子炉を目の当たりにし、20亿年前にそこで起きた现象を想像しながら、我々人类が地球から学ぶことはまだまだたくさんあるのだとつくづく考えてしまいました。
それから数年后に诸般の事情によってオクロ鉱床は闭山することとなりましたので、残念ながら调査という名目で现地を访问する机会はもう失われてしまいました(おそらく観光目的で访问することはありえない地域です)。私がこの研究を手がけてから20年が経过しましたが、少しずつ形态を変えながらも研究はまだ続けています。