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研究者への轨跡

想定外を楽しめる世界:大学の研究者になって

氏名:高橋 嘉夫

専攻:地球惑星システム学専攻

职阶:教授

専门分野:环境化学、地球化学

略歴:理学研究科地球惑星システム学専攻教授。博士(理学)。1968年生まれ。东京大学理学部卒业、东京大学大学院理学系研究科博士课程修了。日本学术振兴会特别研究员、広岛大学理学部地球惑星システム学科助手、准教授(助教授)を経て、2009年より现职。専门(兴味の対象)は、地球で起きる化学现象全て。これが人為的活动と関连すれば环境化学となり、无関係ならば地球化学となる。特に元素の化学状态(価数、结合状态)に兴味があり、热力学的手法や分光学的手法で元素の素性を调べた上で元素の挙动を解釈し、その结果としてマクロな物质循环、环境问题、地球の歴史などを解明していくことを目指している。日本地球化学会奨励赏(2002年)、日本放射化学会奨励赏(2004年)受赏。趣味は歌うこと、软式テニス、奥颈办颈辫别诲颈补探検。

 

日々僕たちは色々な选択を重ねて生きている訳だが、そのひとつひとつの选択を大事にしていけば、人生は案外と自分の希望通りに进むものだと感じている。少なくとも现在の日本はそれが可能な国になっている。しかし人生が面白いのは、时々意図しない方向に物事が进むことがあって、それが自分を未知の世界に导いてくれるということだ。それぐらい自分の知っていることなんてちっぽけで、何でも受け入れられる柔软な姿势が、自分の人生を豊かにしてくれると感じている。
 

1985年に南极オゾンホールが発见された时、僕は多感な高校时代の只中にいた。それまでの公害问题よりも、もっとグローバルな地球环境の问题が注目されるようになり、自分が将来何をするかと考えたとき、この环境问题を解决するための研究者になろうと思った。そして、曲がりなりにも环境化学という分野の研究者になることができた。
しかし実はひとつ计算违いがあった。サイエンス(理学)は面白いのである。僕が环境をやりたかったのは、何かに贡献したい、という気持ちからで、理学の面白さなんて考えもしなかった。正直、理科なんて特に好きな訳でもなかったのだ。ところがいざ卒业研究でサイエンスを自分でやってみると、これが面白い。そうなると、崇高に思っていた环境问题への贡献という动机が何か安っぽいものに思えてきて、代わりに纯粋科学へのあこがれが芽生えてきた。僕にとっては全くの想定外であった。
僕には现在2歳の娘がいるが、この子はジグソーパズルが好きで、一日に何度でも壊しては组み立て、を繰り返している。多分ピースとピースがぴったりとつながる快感や完成した时の达成感に魅せられているのだろう。その様子を见ていると、理学の魅力(例えば个々の结果がかみあった时の喜びや论文が完成した时の充実感)との共通点を感じる。漫画やお笑い芸人の面白さとは全く次元の异なる理学の面白さって、幼い子供でも感じられるような、こんなにも人间の本能に近いところにあるのだ。
とはいっても、地球と人类の不透明な将来のことを考えれば、环境以外にやるべきことはないと今でも考えている。しかし环境科学のかなりの部分は、纯粋科学とは违ってあまりに実际的で现象の根本が人為的なので、理学的面白さを感じさせない课题が多い。そのため、环境への贡献か理学の面白さか、という葛藤が、时々僕を苦しめる。しかし理学的な见方で贡献できる部分が环境科学には存在するはずだし、今は「理学的に面白くて、环境科学に贡献できる研究」を目指して顽张っている。
 

実は僕には、もうひとつの大きく想定外な出来事があった。それは大学の教员になったことである。自分は环境问题という明确な研究目标があったので、研究所に就职するものだと胜手に决めていた。ところが、かろうじて就职できたのは大学で、しかもそれまで所属していた化学系ではなく、地球惑星科学系だったのだ。
ところが、今になって考えれば、この想定外な出来事も自分にとって2つの点で非常にプラスだった。ひとつは研究上の理由なのだが、この地球惑星科学では化学的な见方をする人はそんなに多くないので、この分野は研究テーマの宝库なのだ。花岗岩と玄武岩の违いも知らなかった僕には、见闻きするものの全てが新しく、地球とか宇宙とか大きなものを相手にして、大いに楽しんでいる。その一方で、环境化学だってやれてしまうのだ。
もうひとつの理由は、学生さんと研究する机会を手に入れたことだ。僕は自分に自信がある方ではないので、人に教えるなんてゴメンだと思っていた。それがいきなり沢山の学生にテーマを与えて、指导をしないといけなくなった。有望な学生の芽を摘むのでは、というプレッシャーばかり感じて、当初この学生指导は相当辛かった。でも、これが今や快感に変わりつつある。なぜならこの学生さんとの営みには、想定外な出来事が沢山詰まっていたのだ。
学生が多いと、苦し纷れに出してしまうテーマもあって、気が重くなる。でも环境とか地球の研究なんて予想を里切る结果の方が多いぐらいで、しばしば意図しない方向に研究が発展してしまうのだ。自分一人だったら手を出さなかっただろう研究が、突然优先顺位一番の研究になったりする。
学生さんそのものが想定外なこともある。まあこのぐらいやってくれればと高をくくっていた学生が、猛然と研究をし出すことがあるのだ。决して侮れないし、自分の偏った先入観ほど怖いものはない。だから、全ての学生に平等に期待をかけて接していくことを僕は心がけたいと思っている。
 

こうして考えると、福必ずしも福ならず、祸必ずしも祸ならず、「塞翁が马」とはよく言ったものだ。人生顽张ってさえいれば、思い通りにいくと幸せになれるし、思い通りにいかなくても幸せになれる。そしてこの言叶がもっとずっと当てはまるのが、大学での研究生活だと思うのだ。一番大事なことは顽张っていることで、结果が思い通りにいけば幸せだし、思い通りにいかないともっと幸せなのだ。だから、研究の世界は努力に比例しただけのものが必ず自分に戻ってくる。この想定外を楽しめる世界、努力の还元率が高い世界に自分がいることに、僕は本当に感谢している。こんなに楽しいこと(でも多分何かの役に少しは立つこと)、决してやめられない。


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